中世の騎士というと、騎士道精神を重んじる、カッコいい鎧をまとった…などというイメージがあったんだけど、実は略奪や殺人もガンガンやっていたらしい。
それに、十字軍遠征のさいには、アラブの人の方が紳士的だったりとか、教皇が「あの乱暴な奴らを厄介払いできてよかったわ〜」と言ったとか言わないとか。
勝手なイメージを浮かべていることが案外多いようで、「武士」についてもそうだったらしい。
古代の文献から、武士、あるいは武士道の本当の姿をあぶりだしていく本書。
武士=ヤクザ論を展開したり、武士を批判することを目的としているわけではない。ヤクザを例に引くと武士の精神理解しやすい…
という著者。確かに、仁義とか闘争、切腹など、共通するところが多い気がする。
そもそも、武士道の倫理というのは、戦場で育まれた、という。
武士たちを内側から動かしていたのは、むしろ一般的な道徳とは異なり、それゆえに時には反社会的でもありうるような、戦場から生まれた倫理だったのではないだろうか。
さらに、武士道といえば新渡戸稲造だけど、新渡戸の『武士道』には、問題が色々あるらしい。
新渡戸自身が、「武士道」って言葉、昔からあるんだね、知らんかったわ。と言っているのだ!
この字は私が好い加減にこしらへたものだろうと…中略…古い本を探してゐる中に、この字が見つかった。…それで私は、自分が創造した名誉を失ふと同時に、新しい字を拵へたという罪も免れたわけである。
さらに、そんな新渡戸に著者は追い打ちをかける。
新渡戸は「武士道」の用例を知らなかっただけではなく、そもそも日本の歴史や文化そのものにあまり詳しくなかったようである。
『武士道』は、あまり日本史に詳しくない新渡戸が自己の脳裏にある「武士」像をふくらませて創り出した、一つの創作として読むべき書物であって、歴史的な裏づけのあるものでないことは、改めて確認しておかねばなるまい。
そもそも新渡戸は、欧米むけに日本人像を伝えようとして『武士道』を書いた。新渡戸はのちに、これからの日本人は武士道ではなく、デモクラシーを意識せねばならない、と語っている。
けれども、欧米で大ヒットした『武士道』は日本に逆輸入され、日本人にもその武士道像が定着してしまった。
最後に著者はこう締めくくっている。
日本では、安易に戦争を美化する言論も目立つようになっている。過去の長い歴史の中の戦争を、広い視野から冷静に見つめ直し、学ぶべきことを学ぶ作業は、ますます必要となっているはずである。