テレビでよくある、「この言葉、みなさんどう使っていますか!?じつは、正しい意味は、こちら!」という番組。
「うがった」という言葉。「うがった見方をすると…」という使い方をする。
世間では「疑う」とか「ひねくれた」という意味で使われているとあった。
本当は、本質を見抜くという意味合いである。「的を射た」とか「生鵠を射る」と似たようなもの、という認識が僕の中に生まれた。
実際、多くの人が間違ったままだ。テレビのコメンテーター(知識人)、有名な学者の本の中でさえ使われていた。
でも、意味は読み取れる。もしかしたら、間違っていると知ってて使っているのかもしれない。
そのように、大多数が間違った方で使い始めると、逆にそちらが正しいとなってくる。
「いやいや、間違ってるから!」と言ってドヤ顔で本来の用法で用いても、意思の疎通ができない。
そうなると、もはや、間違っているのは誰なのか。
ついには、逆に正しい方が糾弾され、貶められてしまうのだ!なんということだ!
正しき者が恥ずかしめられてしまうこんな世の中じゃ!POISON!
…ちょっとおおげさになってしまった。
言葉というのは時代とともに変わる。「うがった」という言葉も、丁度その変わり目にいるのだろう。